水戸浪漫街道

水戸の楽しいところ・良いところご紹介しています。

2012年5月16日
by mitocasting
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梅のお菓子

梅の名所として知られている水戸ですが、目で見て楽しむだけではなく舌でも楽しむことができますね。

 

おみやげにぴったりな梅のお菓子がお土産物屋さんではたくさん売っています。

 

のし梅というのはあまり聞いたことがないものですが梅肉と黒砂糖を混ぜたもので夏バテ予防によく食べられています。

現在のものは竹皮にのしてゼリー風の食べ物となっています。

 

他には梅羊羹や梅どら焼き。最中もあります。

春先の味わいが口の中いっぱいに広がります。色もピンク色でとても可愛いですね。

 

2012年5月16日
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実際の黄門様

前回の記事では水戸黄門さまについてけっこうハートウォーミングなかんじでシメさせて頂きました。

 

では、今回は黄門様の実際の人物像について迫りたいと思います。

 

水戸徳川家の当主の子供として誕生したのですが幼少期は街で刀を振り回すなどの不良だったそうです。吉原の遊郭にも頻繁に通っていたんだとか。時代劇の好々爺なイメージとはかけ離れていますね。

 

しかし18歳のある日司馬遷の「史記」伯夷伝を読んでからは学問に身をやつすことを決意します。

 

徳川の当主のところに生まれただけあってやはり人の上に立つだけの素質があったということなのでしょうかね。

 

こうして文武両道を尊ぶ藩主としての道を歩みだすのですが苛烈な性格は生涯にわたって衰えることがなかったそうです。

 

また、とても新しいものに対する興味が強い人だったとも知られています。

海外から伝わってきた新しい食べ物を積極的に食べたことで知られていますね。

 

当時の日本には生類憐れみの令が出されていましたし、肉食なんていうのは考えられない事でした。

しかし光圀さんは牛乳をはじめとした乳製品や牛肉、豚肉、羊肉なども食べましたし中国の餃子やラーメンも食べていました。

 

また、オランダ製の靴下を履いたりワインを愛飲していたとも伝えられています。鎖国化の日本にあっても南蛮の文化に寛容で柔軟な考え方をしていた人だったのでしょう。

 

また、生類憐れみの令を出していた徳川綱吉に対しては野犬20匹の皮をはいで献上したとも知られています。

 

これはとても残酷でひどい人のようなエピソードと思われるかもしれませんね。

しかし当時生類憐れみの令は悪法として知られていました。

その法令のために街には野犬が溢れかえっていました。そのことで苦言を呈すためにやったことだと考えられますね。

そう考えると水戸光圀さんの名君としての顔も見えてくるのではないでしょうか。

 

また、光圀さんは男色も嗜んでいたんだそうです。これがほんとの水戸肛門。なんちゃって。

2012年5月16日
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水戸黄門

徳川斉昭さんは水戸を代表する名君としていまも語り継がれています。

斉昭の他にも水戸のヒーローはいますね。

 

そう、水戸黄門さまです。

水戸市のホームページをみると水戸黄門の放送再開を願う署名が募られているほど水戸にとって黄門様はとても大きな存在なんですね。

市内には水戸黄門の銅像がいくつも建てられています。

 

ドラマの時代劇でよく知られています。

ドラマの中では全国を行脚して弱きを助け強きを挫く立派な方として描かれていますね。

 

黄門様はほんとうの名前を水戸光圀さんといいます。

 

水戸藩は大日本史という国史の編纂を行なっていました。そのために儒学者たちを全国各地に派遣して史料を収集していたのですが水戸光圀もそのために全国を漫遊していたのかなと思いますね。

 

しかし実際は黄門様は鎌倉に遊びに行ったり、江戸と往復したり領内を視察した程度で全国を漫遊したという記録は残っていないんだそうです。

 

では、なぜあのようなドラマが作られるようになったのでしょうか。

 

水戸黄門漫遊記が語られるようになったのは江戸時代末期の頃。十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」を参考にして講談師が創作したのじゃないかと考えられています。

これが明治に入って映画製作も始まった時代になると時代劇の定番のお話として愛されるようになります。テレビ時代に入ってもそれは変わりませんでした。

 

実際には水戸光圀さんは世直しのために立ち上がった正義の味方だったというわけじゃなくても江戸時代から平成の時代にかけても人々を、特にお年寄りに愛されて元気を与える存在で在り続けているのですね。

できたらテレビ放送も復活してこれからもずっと水戸市民と全国のファンに元気を与えてほしいものです。

 

2012年5月16日
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水戸八景

水戸にはたくさんの見所がありますが、江戸時代からそんな観光名所があったんです。

というのも水戸藩藩主、徳川斉昭が水戸の美しい景色を水戸八景として制定していたのです。

 

この八景は水戸市内に全部あるというわけではありません。水戸市内にあるのは偕楽園の僊湖の暮雪というところと青柳の夜雨です。

 

他の場所を全部めぐろうと思ったら80kmにもわたる移動距離になるのでなかなか大変ですがちょっとずつ見て回ってみるといいかもしれませんね。

 

また、平成に入ってからもあたらしい水戸八景が市民によってえらばれました。

こちらは水戸市内に8つぜんぶあるので見てまわることができるのではないでしょうか。

 

弘道館周辺の景色など江戸時代からあるような昔ながらの風景もあれば楮川ダムや水戸芸術館など最近できた景色もあります。

 

2012年5月16日
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ネバネバ

納豆といったら水戸!水戸といったら納豆!!

 

水戸に来たら必ず納豆を食べて、おみやげにも購入して欲しいですね。

 

でも、なかなか外で納豆を食べようという気は起きないかもしれません。でも、水戸には納豆料理を出すレストランや納豆会席をの割ぽう料理店もあったりするんですよ!

 

お寿司屋さんでも納豆のお寿司が食べられます。飲み屋さんでも納豆のいろいろなお料理。

 

唐揚げや厚揚げ、オムレツ・・。

 

納豆がこんなに幅広く料理に使われたりいろいろな所で食べられるなんてびっくりですよね。

 

水戸は大豆の生産が多くて農家で自家製造して昔から食べられているんだそうです。

 

わらに包まれているものが水戸納豆のイメージですよね。

 

体にもいいし、日本人の食卓には欠かせないものです。おみやげ売り場に必ずおいてあるのでぜひ買ってみてください。

 

2012年5月16日
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水戸ら〜めん

もはや日本人のソウル・フードとも言えるのがラーメンです。全国各地にその土地ならではのラーメンがありますよね。

 

実は日本のラーメンの発祥の地が水戸である、といってもいいのかもしれません。

 

中国からやってきた学者の朱舜水は中国麺の作り方を伝授していたと言われています。

水戸黄門で知られる水戸光圀は海外からやってきた珍しい食べ物をいち早く食べていた方なのでラーメンや餃子などを食べていたのではないかと言われています。

 

水戸のラーメンはそのころ中国から伝わってきたものを今でも食べていたりします。

 

特に陰陽五行の影響があって肉には必ず兄弟分であるしいたけを使うというルールがあったり、五種と呼ばれる「にんにく、ニラ、らっきょう、ネギ、しょうが」を使ったりするのが決まりです。

 

市内にたくさんおいしいお店があるのでぜひ食べに行ってみてくださいね。

 

2012年5月16日
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グルメ

いちごで小腹を満たしたらそろそろ晩御飯はどうしようなんて考え始めるかもしれませんね。

 

水戸にはたくさん美味しい物があるんですよ。

 

まだまだ肌寒い季節なので温かい鍋料理でも食べたいなっていうときにはあんこうの鍋はいかがでしょうか。

 

水戸の外から来た人はあんこうなんて食べたことないかもしれませんね。

これがなかなか美味しいんですよ。なんてったってあんこうは関東のふぐとも言われているんですから。

体の芯まであたたまります。地元でとれた野菜と一緒にいただきましょう。

 

水戸の駅の周辺にはたくさんあんこうが食べられるお店があります。カジュアルなお店もあれば割烹料理のお店もあります。

 

2012年5月16日
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いちご

今の時期、梅をみるのもいいですがおなかを空かせたら美味しい物も食べたいって思いますよね。

 

ちょっと小腹が空いた時におすすめなのがいちごです!

 

水戸市内にもイチゴ狩りができるところがあるんですよ!

おいしいいちごを自分で摘んでその場で食べられます。

 

イチゴ狩りってそんなにいちごばっかり食べられないよって思いますよね。でも、実際やってみると結構食べちゃうもんなんです。

練乳をつけて食べたりそのまま食べても美味しいし。あまずっぱくて新鮮で最高ですよ。

 

2012年5月16日
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水戸のアート

水戸は歴史だけではなくアートに関しても見所がある場所です。

一番はやっぱり水戸芸術館ですね。変わった螺旋状のタワーが目印となっています。このタワーは内部に入ることもできます。上は展望台にもなっています。

 

芸術館の中には現代アート、演劇、音楽、それぞれのジャンルのための施設があります。

 

水戸芸術館では現代アートに関する展示を定期的に行なっています。

 

この建物も現代的な建築で面白いんですよ。イベントのために行くのにもいいですし散歩がてら歩くのも楽しいです。

 

2012年5月16日
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徳川斉昭

これまでの記事で何度も名前が登場している徳川斉昭。弘道館や偕楽園を作っていて、きっと文化的で立派な藩主さんだったのだろうなあと思われるかもしれませんね。

 

幕末期の名君と謳われている人です。幼少期から水戸学を学んでいたそうです。

藩政改革を成功させたという名君ですがいったいどんな人物だったのでしょうか。

 

文化的で立派なお殿様というイメージとは違って実はとても荒々しい人物だったのだそうです。

 

女好きで大奥の女性にはセクハラして嫌われていたり、長男のお嫁さんに手を出したり。。

 

子供は男女あわせて37人もいたんだそうです!なんともお盛んなことですね・・・。

 

でも、女好きなだけじゃなくてちゃんと子供たちがみんなどこかの藩主になったり藩主のところに嫁いだりしているのでそのようなところには抜け目ないというか・・・なんともやり手なんですよね。

 

また、教育に関してもとても厳しかったんだそう。

将軍にまでなった慶喜が小さい時寝相が悪かったそうなんですがそれを矯正するために枕の両脇に剃刀を立てて寝かせていたんだそうです。

 

厳しいというか・・やることが過激すぎですね。

 

それゆえのカリスマ性といえるかもしれませんね。それだけ苛烈な人物であったために最後には井伊直弼と争って敗れ、蟄居処分になりそのまま心筋梗塞によりなくなります。

 

カリスマで政界の重要人物だったのにそのような最期を迎えるなんてなんというか、わからないものですね。

 

 

しかし、水戸という地域においてとても重要な位置にある人物であるということは今でも言えるでしょうね。